1Q84から考えつつあることをいくつか

1Q84をちょっとずつ読んでみています。まぁいつものように、中村春樹らしい。」
って、最初の下書きで書いてました。
誰だろう、中村春樹って……私が話したいのは、村上さんの方の春樹です。

ネタバレというレベルまではいかないと思うのですが、このお話にはカルトの事も書かれています。割と大きなテーマの一つなのだと思われますが、まだ途中だから分からないのですが、そうですか*1
しかしそこで昔読んだ本を、ふと思い出したので防備録がてら、記憶のみにたよって記録。

カルトの子―心を盗まれた家族 (文春文庫)

カルトの子―心を盗まれた家族 (文春文庫)

いくつかの日本の「カルト」教団の信者を親に持つ子ども達、いわゆる「二世信者」の記録
ものみの塔*2統一教会、オウム、ヤマギシ……*3
何年か前に読んだので細かい内容までは覚えていないものの、なんだかやたらと静かな衝撃を受けたのはよく覚えている。
親は自分のよかれということをしている。子どもの幸せのために。でもその「よかれ」って、なんなんだ?「絶対」*4に正しいと思われる「よかれ」って、なんなんだ?本当に、よく分からなくなった。

別に筆者は子どものことをただ単に「かわいそう」とか「不幸」という感じでは書いていなかった……気はする。でもだからこその、悲しい気持ち。なんでも物事善し悪しを天秤にかけられるわけではないからこそ、「良いのに悪い」とか「楽しいのに悲しい」とかは、一番ダメージが大きい。個人的には、だけれども。

子は親を選べない。けれども生き方くらいは選べる……はずなんだけれども
親がその親だからこそ、この大人はそのような子どもであったから、このような大人(もしくは親)なのだ
という連鎖が生じ得る。それがなんとも言えない。
そういう事が、二世信者の現状には現れるのですよね。*5


子は親を選べない
という事実そのものよりも、
子は親を選べない
という事実から生じる未来それこそが
一番の恐怖なのだと思う。


別にこういう信条に関するだけじゃあるまいが。



また改めてこの本を読んだら、感想を書こう。と思いましたとさ。



あとはホンモノが出で来ないときっとなんとも言えないのだけれども、英訳*6した時に、やたらとQの文字が多くなりそうな気がしてる。
もしそれがビンゴならば、春樹サン、やりますな

*1:このレベルで「ネタバレやめてよー」とおっしゃる方がいたのならば、ごめんなさい。

*2:エホバの証人、って方がおそらくは有名かもしれない

*3:……あともう一つあった気もしますが忘れた

*4:そもそも「絶対」こそが存在不可なのではないか、という最近の私の見解。「絶対」信者の上に、宗教だの信条だのがのっかってくるのではないのかな。その意味ではだいたいの宗教は二重構造とも言えるのかもしれないなーと、ぽやーと思ったりもする。

*5:特に本人が純粋な意味での信者出ない場合は、顕著

*6:というか欧米圏全般の言語かもしれない