変わる変わるの中で、変わらない
しかし今の時代はすごい時代だ。
いろんなところでパラダイムシフトを感じる。
電子書籍関連、トヨタの公聴会の件。
既得権益へのしがらみ、水面下での情報戦への軽視、変化への恐がり、等々。
まだまだ勉強中の身ではあり、消化不良なところも多々あるのですが
でも感じているもの自体は強ち間違いではない気がしている。
あとは説明会に行ったときに時たま感じる「何か」も繋がるのかな。
このまんまじゃ日本だめじゃんね、って正直思ってしまっているところもある。
これまでこんなに頑張ってきたんですよ僕ら的なアピール重視のところとか、
ちょっと違うんじゃないのかなーとか思ってしまう。
それで「へぇ!」ってなっている学生の顔とか見てしまうと、まぁそれも効果的なのかと実感。
もっとも私は違和感だらけですが。
そんな空気を感じたところは、きっと入ってからも楽しくないだろう。
まず自分があまり大きい人間になれない気がする。
それは、いや。
これからの人生、どんだけ時間かけて仕事やることになるのかって話だし。
どんどんいろいろなものの変化を感じる。
来年の今頃、私はどんな情報の中で生きているんだろう。
多分、今の半分がなくなりまた他の何かに置き換わっている気がする。
日本は、これからどうなっていくんだろう。
私はその中で、どうやって生きていくのだろう。
委ねなければいけないところと、自分でもっと考えなければいけないところ、
両方がまだ自分の仲で曖昧らしい。
まだまだ考えます。
自分にとって良い未来を築けますように。
その前に、頭の中をもっと論理的にできますように。
全然クリアじゃないのだ、最近。
おそらくそれがこの文章にも表れているはず。*1
できればこれから毎日、アウトプットを心がけよう。書評とか書いちゃおう。うん。*2
見て噛んで考えるための情報
でも、思うんですよね。今の情報の伝達方法が何年後とかの主流になった時に、人の思考はどうなってしまうのか、とか。
メディア(というかweb)が個人への情報のカスタマイズばかりをプッシュしまくっている現在。
そんな情報環境で育つと、情報の咀嚼力が低下してしまうんじゃないか。そう思うのです。
専門的な知識バカだらけ、のような状況になってしまうのではないのかと。
もちろん、ある程度の知識の土台がある人は、それでもいいと思う。というかそういう専門家は必須。
そして言わなくてもそういう人たちは既に、インターネットをものすごくうまく使えているのだと感じる。
だから、私が対象として主に考えているのは、所謂「普通の人々」。
普通の人々が、変に偏った知識だけになってしまっては、世の中おかしくなっちゃうんじゃないか。と。
それは阻止すべきだと思っていて、そのためには情報の一覧性が必要になってくるんじゃないのか。と。
あとは、情報への野性的欲望を持つべきなのだとも感じている。
amazonのような「あなたきっとこれ選びたいでしょー、ほら、リストにまとめといたわよ」という情報の提示方法は至極便利。
でもこれ「だけ」になってしまってはいけないと思うんだよね。
就活生としてはリクナビ等のサイトも、同様なのだと思う。便利。確かに便利なんだけど。
そこから自分の道を本当に作れるかは、ちょっと違うと思う。
でも、それだけで済ませてしまう人だって、いるのが現状なのだと思う。
「本当にあなたの知りたいことは、何?」
「誰かに(顔も知らないし、下手したら人でもない誰かに)選んでもらった情報だけしか見ないの?」
いろんな人にこの問いを投げかけずにはいられなくなる前に、できることはないのか。
多分、これが自分の中での一つの軸。だと思う。
もちろん、情報の提供側だけの問題ではない。
受ける側のリテラシーの問題もある。そうなると教育とかも関わってくるはずなんだよね。
そういういろんなものをからめるのも、方法としてはありだ。
巻き込める、これも一つのキーワードかもしれない。
インタラクティブメディアたんは今人気☆だもん♪
一方で、IT関連の中小・ベンチャー企業も回ってます。
キーワードは、ターゲティングメディアとか、記事広告とか。
逆にこちらから、何か攻めていけることはないのかと、日々模索中。
あとはいろんな業界を社会勉強も兼ねて見てるけれども、あまり大手は好ましくない気はしている。
白子の日本人とアルビノの黒人
高校の生物の授業で出てきたアルビノ。いろいろな生物に起こりうるけれども、色素異常で(多少はあるのかもしれないが)メラニンがないため色が白い。上野公園にからすのアルビノがいるから行ってみようという友達の誘いを、金銭的事情によりお断りして以来、あまり身近ではなかったが、とりあえず
「アルビノ=動物」
のイメージがひたすら頭についていた。
東京写真博物館で行われていた世界報道写真展に今年も行ってきた。
写真のお勉強にもなるし、社会問題(しかもあまり知る機会を持てない問題も共に)を少しは実感できるので、去年も行ったし、できれば来年も行きたいと思っています。今回は招待券を頂けたこともあり、恵比寿まで行ってみました。
そこで今回印象的だったのは、タンザニアという黒人達の中のアルビノの写真。要はするに、骨格や顔の作りは「黒人」そのものなのに、肌が白くて金髪の人たち。殺したらいい薬になるんだという迷信のもと、あるいはただの偏見のもと、中世の魔女狩りのごとく殺されたりするらしい。1年ほどの間に25人ものアルビノが殺されてしまっているのも、遠い昔の話ではなく、確か去年とか一昨年とか、そんな話だ。そして冒頭に挙げたようにメラニンがないから、紫外線の影響で皮膚がんにものすごくなりやすい。タンザニアのようなアフリカの地で、そう健康に生きていける可能性は恐ろしく低いのだ。
実際今日見た写真にも、アルビノの親子が写っていたが、親の方は皮膚がんになってしまって仕事ができなくなってしまったという話だ。アフリカの地で、タンザニアで、日本の丸の内のビルの中のような仕事がたくさん転がっているわけでも、一般の人がそのような仕事につけるわけでもあるまい。
それでも生きていかなきゃならんのね、そこで、「黒人」として。
人のアルビノ種についてそこまで深くは考えた事はなかった。日本でも「白子」と呼ばれて昔は差別されやすかったらしいという話を母親から聞いた事はあるものの、実際会った事はないからその話はそれっきりになっていた。それにコーカソイドはもちろんのこと、日本人みたいなモンゴロイドは「白子」だったとしても、それが目立つ事は黒人たちのそれと比べてしまったらお話にならないのかな、とは思う。実際にお会いした事がないから分からないけれども。
まぁ、ともかく言いたいのは、黒人と「黒人」が並んだ写真がとても興味深かったです。
という話なだけなのだけれども。
自分で企画したサプライズで、自分がサプライズさせられた。*1
2008、2009年と2年に渡って私が所属していた団体・MPにて、2008年にセット員*1として一緒だった仲間のうちの一人がつい先月一年の留学から帰国。そのおかえりなさいをやろうと企てた。
最初は少人数で「今度セット飲みをやろう、その計画を一緒に立てよう」という名目で約束を取り付けた。その待ち合わせの約束のとき、私は遅刻(したことにして、他のメンバーと先に店に入っている)。
「なんか店だけ押さえてあるらしいから先行ってようよ」
ということにして着いてみれば、あれーなんか皆いるじゃん。というサプライズその1。
そうして食事があらかた済んで、照明が暗くなってなんじゃーとなって運ばれてきたケーキプレート。そこにはまた別の子への
「いってらっしゃい」
の文字が書いてある。その子もまた、この夏から留学するのです。あれー最初の子のおかえりなさいだけじゃなかったのかよー、という皆にも内緒で進めてみた、サプライズその2。
とりあえずそういう段取りで進むはずだった私企画のサプライズだったのに、ケーキプレートが運ばれてきてみれば、そこには私のあだ名に
「おたんじょうびおめでとう」
の文字。というわけで、サプライズその3。
もちろん、私以外の誰かによる嬉しい仕業です。
そんな夜を過ごしていたら、また次の齢がやってきてしまっていた。
1年早いなー
いや、23年それ自体が早い。
来年のこの日までを、どう過ごしているのかは知りませんが、決して自分幹事のお誕生日会とかは、していたくないものです。
*1:大道具と小道具を作ったり、当日動かしたりのための人員
1Q84から考えつつあることをいくつか
「1Q84をちょっとずつ読んでみています。まぁいつものように、中村春樹らしい。」
って、最初の下書きで書いてました。
誰だろう、中村春樹って……私が話したいのは、村上さんの方の春樹です。
ネタバレというレベルまではいかないと思うのですが、このお話にはカルトの事も書かれています。割と大きなテーマの一つなのだと思われますが、まだ途中だから分からないのですが、そうですか*1
しかしそこで昔読んだ本を、ふと思い出したので防備録がてら、記憶のみにたよって記録。
- 作者: 米本和広
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
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ものみの塔*2、統一教会、オウム、ヤマギシ……*3
何年か前に読んだので細かい内容までは覚えていないものの、なんだかやたらと静かな衝撃を受けたのはよく覚えている。
親は自分のよかれということをしている。子どもの幸せのために。でもその「よかれ」って、なんなんだ?「絶対」*4に正しいと思われる「よかれ」って、なんなんだ?本当に、よく分からなくなった。
別に筆者は子どものことをただ単に「かわいそう」とか「不幸」という感じでは書いていなかった……気はする。でもだからこその、悲しい気持ち。なんでも物事善し悪しを天秤にかけられるわけではないからこそ、「良いのに悪い」とか「楽しいのに悲しい」とかは、一番ダメージが大きい。個人的には、だけれども。
子は親を選べない。けれども生き方くらいは選べる……はずなんだけれども
親がその親だからこそ、この大人はそのような子どもであったから、このような大人(もしくは親)なのだ
という連鎖が生じ得る。それがなんとも言えない。
そういう事が、二世信者の現状には現れるのですよね。*5
子は親を選べない
という事実そのものよりも、
子は親を選べない
という事実から生じる未来それこそが
一番の恐怖なのだと思う。
別にこういう信条に関するだけじゃあるまいが。
また改めてこの本を読んだら、感想を書こう。と思いましたとさ。
あとはホンモノが出で来ないときっとなんとも言えないのだけれども、英訳*6した時に、やたらとQの文字が多くなりそうな気がしてる。
もしそれがビンゴならば、春樹サン、やりますな
丸くて回っているものたちの誘惑
基本自らで制御可能なタイヤの上に乗るものが大好きであります。
そんなに乗りまくるわけではないのですが、
車もそう。バイクもそう。
なんだかんだでこっちにやってきてそれなりに車によく乗る。
そして深夜の時間帯にぼけーっとF1の中継なんかを見ているのも至福の時。
あんなのただただ「パオーン」って言いながら車が動き回ってるだけなのにね。
でもいつコクピットに入るか、とか絶妙なカーブの曲がり具合とかを見ていると、
なんだかウキウキしてしまうのです。
タイに行った時だって、なんだかんだで無駄にバイクにばっか乗ってたしなー
おかげでギアの操作をだいぶ覚えました(爆)
タイカブはやはりカブだけあって燃費も良かったし。
というわけで、田舎での交通事情の悪さを自力で解消すべく、
「それなりの自転車」を購入してやろうかと検討しております。
候補は、ritewayというマイナーメーカーの安めのクロスバイク、シェパードたんです。
というか買うとしたらこのシリーズにほぼ間違いないと思われます。
すんなりしててかっこよろしい。
ロゴも今型落ち気味で出ている09モデルのものがとても好き。
パーツも最低限はきちんとなっていそう(まだよく分かっていない)。
という好条件ですが、
冬場のここら辺で吹き荒れる風
を気にしてしまい、まだ踏ん切りがつかない。
風と逆に進もうとすると、自転車と一緒に歩かなきゃならなかった時もある程、
ここら辺で吹き荒れる風は、手強いので。
しかもママチャリよりもずっと軽くなるので、
吹き飛ばされやしないかと、リアルに心配なのです。
まだまだ考え中……
(友達には、どうしてそこで原チャとかいう選択肢が出て来ないのか、と半ばあきれられた。)